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東京地方裁判所 平成4年(ワ)6049号 判決

原告

大千建設株式会社

右代表者代表取締役

舞木カホル

右訴訟代理人弁護士

遠藤英毅

今村健志

被告

酒井喜義

右訴訟代理人弁護士

穴道進

藤井文夫

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

(第一次請求)

1 被告は、原告に対し、金一億八七〇〇万円並びに内金一億円に対する昭和五八年一二月二三日から支払済みまで年五分の割合による金員及び内金八七〇〇万円に対する平成元年一二月一日から支払済みまで年九分の割合による金員を支払え。

2 訴訟費用は被告の負担とする。

3 仮執行の宣言

(第二次請求及び第三次請求)

1 被告は、原告に対し、金一億八七〇〇万円及びこれに対する昭和五八年一二月二三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2 訴訟費用は被告の負担とする。

3 仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1(一)  原告は、昭和五八年七月二九日、被告との間において、被告の所有する別紙物件目録一ないし四記載の土地及び同目録五記載の建物(以下、右土地を「本件土地」といい、右建物と併せて、「本件物件」という。)を別途協議の上決定する売買契約の内容により買い受ける旨の売買予約をして、証拠金二〇〇〇万円を被告に支払い、同年八月五日、本件物件につき右売買予約を原因とする所有権移転請求権仮登記を経由した。

(二)  原告は、同年一二月二三日、被告との間において、本件物件を、代金は二億二六六二万円、残代金の支払、引渡及び所有権移転登記手続の履行期は昭和五九年七月一五日とする売買契約(以下「本件売買」という。)を締結するとともに、被告は原告が本件土地及び近隣土地を買収してビルを建築する再開発行為(以下「本件開発行為」という。)を行うに際して、近隣土地所有者との交渉を速やかに行うことができるよう原告に協力し、右代金は右交渉達成の際に改定できるものとし、その額は開発の状況及び達成の時期等を考慮の上、協議して決定する旨の覚書を作成し、代金の内金として一億円(内金二〇〇〇万円は支払済みの前記証拠金をもって充当)を被告に支払った。

2(一)  原告は、本件売買の成立と同時に、被告に対し、八七〇〇万円を、弁済期は本件売買の履行期である昭和五九年七月一五日、利息は年九分、毎月末日限り支払うとの約定により貸し渡した(以下「本件貸金」という。)。なお、この点に関する被告の自白の撤回には異議がある。

(二)  被告は、原告に対し、昭和五九年一二月分から平成元年一一月分までの利息ないし遅延損害金を支払った。

3(一)  本件売買の履行日は、その後、本件開発行為が完了するまで延長されたが、被告の協力はほとんど効果がなく、右開発行為が停滞するに至ったため、原告は、平成三年四月、被告を相手に本件物件の引渡及び所有権移転登記手続を求める民事調停を申し立てたが、被告は受領済み金員の返還を拒んだ上、法外な代替物件の提供を要求して応じなかった。

(二)  そこで、原告は、被告の協力による本件開発行為を断念し、被告に対し、平成四年二月二七日到達の書面をもって、本件売買の残代金一億二六六二万円と本件貸金の同年三月一〇日までの残元利合計一億〇六八七万円(ただし、前記2(二)の既払分を控除したもの)とを対当額で相殺した残額一九七四万七一五八円を口頭提供した上、同年三月一〇日限り、右残代金の支払と引換に本件物件の引渡及び所有権移転登記手続を行うよう催告するとともに、右期限までにその履行がないことを停止条件として本件売買を解除する旨の意思表示をした。なお、原告は、念のため、被告に対し、同年一二月八日到達の書面をもって、本件売買の残代金と本件貸金の同年一二月一四日までの残元利合計とを対当額で相殺した残額一五七〇万八三七八円を口頭提供した上、右同様の催告及び停止条件付解除の意思表示をした。

4  よって、原告は、被告に対し、次のとおりの金員の支払請求をする。

(一) (第一次請求) (1) 本件売買の解除に基づき、代金一億円及びその交付日である昭和五八年一二月二三日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払 (2) 本件貸金に係る金銭消費貸借契約に基づき、右貸金元本八七〇〇万円及びこれに対する平成元年一二月一日から支払済みまで約定の年九分の割合による遅延損害金の支払

(二) (第二次請求) 仮に、本件貸金が本件売買の代金の内金であるとした場合には、本件売買の解除に基づき、代金一億八七〇〇万円及びこれに対するその交付日である昭和五八年一二月二三日から支払済みまで民法所定年五分の割合による利息の支払

(三) (第三次請求) 仮に、本件貸金が本件売買の代金の内金であり、かつ、本件売買が無効である場合には、不当利得返還請求権に基づき、右(二)と同様の金員の支払

二  請求原因に対する認否

1(一)  請求原因1(一)の事実は認める。

(二)  同1(二)の事実のうち、被告が原告主張の日に原告から一億円(内金二〇〇〇万円は支払済みの証拠金をもって充当)の支払を受けたことは認めるが、その余は否認する。本件売買は、代金額及び履行期が特定していないから、不動産の売買契約として成立していない。

2(一)  同2(一)の事実は否認する。原告主張の八七〇〇万円は本件売買の代金の内金であり、被告の税務対策上、金銭消費貸借金の名義をもって授受したものである。もっとも、被告は、当初、本件貸金は弁済期を除いて認める旨陳述したが、右自白は、真実に反し、かつ、錯誤に出たものであるから、これを撤回する。

(二)  同2(二)の事実は認める。

3(一)  同3(一)の事実のうち、原告がその主張の日に民事調停を申し立てたことは認めるが、その余は否認する。

(二)  同3(二)の事実は認める。

三  抗弁

1  仮に、本件売買が成立したとしても、民法九三条ただし書又は同法九五条により無効である。すなわち、本件物件は原告による本件開発行為の予定地内にあり、私道を通じて都道に至る奥まった箇所に位置しているが、本件売買に先立ち、被告と原告との間において、昭和五八年一月七日、本件物件については、被告が本件開発行為に協力することに対する報酬を加味して、その達成の段階における表並みの価格(本件物件が都道に接しているとみなした価格)で売買することとし、本件開発行為の達成状況及び達成時期等を考慮の上、原告と被告が協議して決定する旨の合意が成立した。しかし、本件開発行為の完了までには少なくとも数年を要するとみられ、その達成時期の具体的な目処が立たず、右代金額も判明していない段階においては、原告が被告を中心として開発行為を進めて行く上で、取り敢えず仮の代金額を記載した仮の売買契約書を作成するほかないとして、本件売買を締結したものであるから、代金額及び履行期が原告主張のとおりの売買契約が成立したものとすれば、心裡留保が無効となる場合に当たり、また、本件物件に関する被告の売渡の意思表示には、その重要な部分に錯誤があったものというべきである。

2  仮に、本件売買が有効であるとしても、原告は債務の本旨に従った履行の提供をしていないから、原告のした本件売買の解除の意思表示は無効であり、また、権利の濫用に当たる。すなわち、本件開発行為の予定地域は、滝沢らの所有地を含む第一ブロック、星田所有地を含む第二ブロック及び宍道らの所有地を含む第三ブロックから成る1312.70平方メートルの一帯の土地であるが、被告が十数名の所有者及び借地権者との間で精力的に買収交渉を進めた結果、全体の約七割に相当する、第一ブロック及び第二ブロックの全部と第三ブロックのうち被告、宍道及び藤井の各所有地を除く部分の合計912.03平方メートルの開発行為が完了した。これにより、原告が右土地の所有権を取得し、地上八階建、地下一階建、延べ床面積四一〇〇平方メートルの鉄骨造建物の建築が可能になったところ、被告はこれにつき特段の尽力をしたものであり、対象地の一部が買収未了である点についても被告の責に帰すべき事由はない。また、被告は、昭和五九年五月、原告のため、本件物件につき、株式会社第一勧業銀行(以下「第一勧銀」という。)を根抵当権者とする極度額一〇億円及び極度額一四億円(同年一二月に極度額を三五億円に変更)の各根抵当権を設定して開発資金の調達に協力をした。さらに、本件売買の代金額の定めは前記のとおりであるところ、本件売買から原告主張の解除に至るまでに約九年間を経過し、この間に土地の価格が十倍近く上昇した以上、事情変更の原則により、改めて当事者間で代金額を協議して決定すべきものであり、原告が本件売買の履行を求める民事調停を申し立てたことも本件開発行為が継続していることの現れである。こうした事情の下では、右調停が不調になった平成四年三月の直前において、取り敢えずの仮の代金額の残額と名目的な本件貸金の残元利合計とを対当額で相殺した残額を提供したのみでは、信義誠実の原則に則り、債務の本旨に従った履行の提供をしたということはできない。

3  仮に、本件売買の解除が有効であるとすれば、被告は、原告との間で、本件開発行為の協力に対して相当額の報酬を受ける旨の契約を締結していたか、そうでないとしても、被告は、土木建築の設計・施工、不動産の売買等を目的とする酒井建設株式会社(以下「酒井建設」という。)の代表取締役として本件開発行為につき協力をしたものであり、右行為は商行為であって、商法五一二条に基づき報酬請求権が発生するところ、前記協力行為の内容等にかんがみ、右報酬額は五億円を下らないから、原告に対し、平成四年九月二一日の本件口頭弁論期日において、右報酬債権をもって原告の本訴債権と対当額において相殺する旨の意思表示をした。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1の事実は否認する。

2  同2の事実のうち、本件開発行為の予定地域が被告主張の三ブロックから成ること、被告が本件物件につきその主張の根抵当権を設定したこと、原告の申し立てた民事調停が被告主張のとおり不調になったことは認めるが、その余は否認する。

3  同3の事実は、相殺の意思表示の点を除き、否認する。

第三  証拠関係〈省略〉

理由

一請求原因1の(一)の事実は、当事者間に争いがない。

二そこで、本件売買及び本件貸金の成否について判断する。

1  被告が昭和五八年一二月二三日原告から一億円(内金二〇〇〇万円は支払済みの証拠金をもって充当)の支払を受けたこと、本件開発行為の予定地域が被告主張の三ブロックから成ること、被告が本件物件につきその主張の根抵当権を設定したこと、被告が昭和五九年一二月から平成元年一一月まで八七〇〇万円に対する年九分の割合による利息を原告に支払ったこと、原告が平成三年四月被告相手に民事調停を申し立て、平成四年三月不調になったことは、当事者間に争いがなく、以上の争いのない事実と証拠(〈書証番号略〉、証人舞木斉、被告本人)並びに弁論の全趣旨を総合すれば、次のとおり認められる。

(一)  被告は、本件物件(別紙図面の赤枠部分)を所有し、土木建築の設計・施工、不動産の売買等を目的とする酒井建設の代表取締役として、昭和五六年ころ、本件物件を含む付近一帯の土地に共同ビルを建築する再開発構想を抱いていたところ、当時、住友不動産も、別紙図面の滝沢、宮崎、手島及び折橋の各所有地(以下「第一ブロック」という。)、高間、森及び佐々木が借地する星田の所有地(以下「第二ブロック」という。)と藤井、被告、宍道、仲宇佐及び里村の各所有地(以下「第三ブロック」という。)を買収してビルを建築する本件開発行為を計画し、被告に協力を求め、所有者等との間で交渉を進めていた。

(二)  酒井建設は、本件物件を担保として芝信用金庫等から融資を受けていたが、経営が悪化して、借入金の決済や滞納税金の支払に多額の資金を必要としたところから、昭和五七年夏ころ、被告が本件物件を住友不動産に対して売却することを決意し、右売却を前提に、本件物件に根抵当権を設定して、芝信用金庫から、同年一〇月一二日三〇〇〇万円、同年一一月二六日二〇〇〇万円の融資を受けた。しかし、この間に、住友不動産が本件物件を含む第三ブロックを開発の対象から除外することに決定したのを受け、被告は、住友不動産への売却を断念し、これに代わる開発業者として選定した原告に対し、第一ブロックないし第三ブロックの開発予定地域(総面積1312.70平方メートル)内の住民に影響力がある被告が買収交渉に協力する旨申し出た結果、同年一二月ころ、原告が第一勧銀から融資を受けて本件開発行為に着手することになった。

(三)  原告は、昭和五八年二月、被告から更に資金協力を求められ、本件物件を代金二億二六六二万円(3.3平方メートル当たり六〇〇万円)で被告から買い受け、必要資金四〇〇〇万円を手付金として支払い、右代金は、後日、開発計画の進展等諸般の事情を加味して協議の上修正加算することとして、その旨の売買契約書案及び覚書案をいったん作成したが、第一勧銀の意向により、右売買契約の締結は見送られ、第一勧銀が本件物件の権利証を預り、原告の連帯保証の下に四五〇〇万円を酒井建設に貸し付けることになった。被告は、その際、前記のとおり本件物件の売買を前提に融資を受けていた芝信用金庫に対する説明の便宜のため、原告との間で、右売買契約書案と同旨の売買契約書を作成するとともに、これが法的拘束力を有しないことを確認した覚書を作成した。

(四)  被告は、この間に、買収交渉を進め、昭和五八年三月、原告が第一ブロックの滝沢及び宮崎の各所有地を買収し、これと相前後して、住友不動産は本件開発行為から撤退したが、同年六月ころ、酒井建設は、さらに五五〇〇万円の資金需要を生じ、うち三五〇〇万円につき、原告の連帯保証の下に芝信用金庫から追加融資を受けた。しかし、残余二〇〇〇万円は本件物件の売買証拠金として原告が出捐することとし、原告は、同年七月二九日、被告との間で別途締結する予定の本件物件の売買契約の証拠金として二〇〇〇万円を交付する旨の売買予約をし、その支払を了して、同年八月五日、本件物件につき右売買予約を原因とする所有権移転請求権仮登記を経由し、同年一〇月ころまでには、第一ブロックのうち折橋の所有地を除く部分の買収を完了した。

(五)  被告は、昭和五八年一二月、芝信用金庫から前記融資金の返済を求められたため、本件物件につき売買契約を成立させて借入金債務を完済することとし、原告も、被告の協力を期待して、同年一二月二三日、被告との間で、本件物件を代金額は前記売買契約書案と同一の二億二六六二万円で売買し、内金として一億円(内金二〇〇〇万円は支払済みの前記証拠金をもって充当)を支払い、昭和五九年七月一五日限り、残代金の支払、引渡及び所有権移転登記手続を履行する旨の本件売買契約を締結して売買契約書を作成した。原告は、その際、被告との間で、右内金残額八〇〇〇万円と被告の税務対策上別途貸金名目で交付する八七〇〇万円の合計一億六七〇〇万円を被告に支払い、右貸金は売買残代金をもって返済に充当するものとし、開発達成の際には、開発の状況及び達成時期等を考慮の上、代金額を協議して改定することができ、被告は、買収未了部分(第二ブロックの森及び高間の各借地権と第三ブロックの藤井、宍道及び仲宇佐の各所有地のほか大久保所有地)の交渉促進に協力する旨の覚書を作成し、同時に、貸付額は八七〇〇万円、利息は年九分、毎月末日限り支払う、元金の弁済期は昭和五九年七月一五日とする本件貸金に係る金銭消費貸借契約書を作成して、一億六七〇〇万円を被告に交付した。被告は、右金員により、第一勧銀、芝信用金庫及び東京信用保証協会に対する借入金債務を返済し、本件物件につき、後二者の根抵当権を抹消した。

(六)  原告は、当時、開発の主目的である都道に面した部分の買収の成否が未定なこともあって前記のとおりの代金額を定めたが、右部分を含めて第三ブロックの藤井ら所有地の開発が達成されれば、代金額は3.3平方メートル当たり二〇〇万円増額(合計三億円余)することも考慮しており、昭和五九年五月、本件物件及び他の買収地につき、極度額一〇億円及び極度額一四億円(同年一二月三五億円に変更)の各根抵当権を設定して第一勧銀から資金の融資を受け、本件開発行為を進め、昭和五九年七月一五日の履行期を事実上延長し、同年中には都道に面した部分(第二ブロックの星田の所有地及び佐々木の借地権と第三ブロックの里村及び仲宇佐の転得者である帝国観光の各所有地)の買収を完了した。被告は、本件貸金を借入金として税務申告し、同年一二月から約定利息も支払っていたが、昭和六一年一〇月ころ、原告との間で、本件貸金八七〇〇万円を本件売買代金の内金に振替充当することを合意し、平成元年一一月限りで利息の支払も止めた。しかし、この間に、地価が次第に上昇し、代替地の取得が困難になって本件開発行為が停滞し、他方、被告が、本件売買の代金額を表並みの価格(都道に接するとした場合の価格)にする約束が存在したとして、右金額に増額改定するよう求め、右約束の存在を否定する原告との間で対立するに至った。

(七)  被告は、昭和六三年三月ころ、本件売買の代金額を三億円上乗せした五億二六六二万円に改定するとの原告の提案を拒否し、その後、本件売買を合意解除して原告が支払済みの一億八七〇〇万円を被告の報酬に充当するとの逆提案をしたが、原告はこれを拒否した。そして、原告は、平成二年八月までに、第一ブロック及び第二ブロックの全部と第三ブロックのうち藤井、被告及び宍道の各所有地を除く部分(開発予定地の約七割に相当する部分)の買収を終えたが、本件開発行為の帰すうがかかっている藤井らの各所有地の買収が進展を見ないため、原告が藤井と直接交渉を始めたところ、藤井と被告との間にはかって境界紛争などもあって被告による藤井からの買収工作は困難であることが判明し、平成三年四月、被告を相手に本件物件の引渡及び所有権移転登記手続の履行を求める民事調停を申し立てた。しかし、右調停において、宍道も自己所有地の売渡には応じないことを明らかにし、また、被告が、前記一億八七〇〇万円は従前の協力に対する報酬として取得するほか、被告及び宍道の各所有地と原告の買収地のうち都道に接する一区画とを交換するとの提案を主張したため、平成四年三月、不調に終わった。

2  右認定事実に基づいて考察するに、被告は、まず、本件売買は、代金額及び履行期が特定しておらず、不動産売買契約として不成立であり、また、代金額及び履行期が原告主張のとおりの売買契約が成立したものとすれば、民法九三条ただし書又は同法九五条により無効である旨主張する。

しかしながら、前記認定事実によれば、原告は、昭和五七年一二月ころ、第三ブロック内の本件物件を所有し、かつ、土木建築の設計・施工、不動産の売買等を目的とする酒井建設の代表取締役である被告の申出に従い、被告から買収交渉の協力を受けることを予定した上、住友不動産に代わる開発業者として本件開発行為に着手し、酒井建設に対する資金協力の一環として、本件物件につき、昭和五八年七月二九日、売買予約をして証拠金二〇〇〇万円を支払い、同年八月五日、本件物件につき右売買予約を原因とする所有権移転請求権仮登記を経由した後、同年一二月二三日、本件物件を二億二六六二万円で買い受け、内金一億円(内金二〇〇〇万円は支払済みの証拠金をもって充当)を支払う旨の本件売買契約を締結して売買契約書を作成したものである。もっとも、その際、開発達成の際には、開発の状況及び達成時期等を考慮の上、代金額を協議して改定することができる旨の覚書をも作成しているが、かかる将来の代金改定の合意があるからといって、代金額が不特定であるとはいえないし、また、当初の履行期がその後延長されたことも、本件売買の不成立を招くものではない。

この点について、被告は、本件売買に先立ち、昭和五八年一月七日、本件物件の代金については、被告が本件開発行為に協力することに対する報酬を加味して、その達成の段階における表並みの価格(本件物件が都道に接しているとみなした価格)で売買することとし、本件開発行為の達成状況及び達成時期等を考慮の上、原告と被告が協議して決定する旨の合意が成立したものであり、右達成時期の具体的な目処が立たない本件売買の段階において、取り敢えず仮の代金額を記載した仮の売買契約書を作成した旨主張し、〈書証番号略〉(被告の陳述書)及び被告本人尋問の結果中には、右主張に沿う記載及び供述部分がある。しかし、右主張の合意が成立したという時期は、原告が本件開発行為に着手した直後で、本件物件の売買の成否、条件等はもとより、本件開発行為全体の計画も具体化している段階にはなく、その後に、前示のような売買予約をし、本件売買に係る売買契約書及び覚書を作成したものであって、覚書には前示のような代金改定条項が記載されているのであるから、売買契約に先立ち被告主張のようなより具体的な約定が確定的に合意されていたものとすれば、契約内容を成す重要な約定として記載されてしかるべきところ、かかる記載のないことは明らかである。また〈書証番号略〉(丸山宗三郎の陳述書)は、被告からの伝聞を内容とする記述にすぎず、〈書証番号略〉(舞木斉のメモ)も、その記載内容及び証人舞木斉の証言に照らし、的確な証拠であるとはいえず、本件全証拠によっても、右合意の存在そのものについては心証を形成することができない。そして、前示事実関係に照らすと、本件売買の成立過程において、被告主張のような心裡留保が無効となる場合に当たるべき事実又は被告の売渡の意思表示に錯誤が存在した事実を窺うことはできず、他に、これを認めるに足りる証拠はないから、被告の右主張は採用することができない。

3  次に、本件貸金の成否についてみるに、被告は、本件第一回口頭弁論期日において、原告主張の本件貸金を弁済期を除いて認める旨の陳述をしたが、本件第一八回口頭弁論期日において、右自白を撤回し、これにつき原告が異議を述べたことは、本件訴訟上明らかである。

しかしながら、前記認定事実によると、本件貸金に係る金銭消費貸借契約は、本件売買契約と同一日に締結され、その元金の弁済期も本件売買の履行期と同一日であるのみならず、本件売買においては、代金二億二六六二万円の内金として一億円から支払済みの証拠金二〇〇〇万円を控除した八〇〇〇万円を支払う内容になってはいるものの、同時に作成された覚書においては、右八〇〇〇万円と本件貸金に係る八七〇〇万円の合計一億六七〇〇万円を被告に支払い、右貸金は売買残代金をもって返済に充当する旨記載されているのであり、かかる操作は、被告の税務対策上、貸金名目で交付したように処理するため便宜的にされたものである。もっとも、前示金銭消費貸借契約書において、利息は年九分、毎月末日限り支払う旨約定され、被告は、昭和五九年一二月から平成元年一一月まで右約定利息を支払っているが、この間、昭和六一年一〇月ころ、原告との間で、本件貸金八七〇〇万円を本件売買の代金内金に振替充当することを合意し、平成元年一一月限りで利息の支払を止めたことは前示のとおりである。こうした事実に照らすと、本件貸金は、本件売買代金の実質を有するものといわざるを得ず、右利息支払の事実や被告が借入金として税務申告している事実も右認定判断を左右するに足りず、他に、これを覆すに足りる証拠もないから、被告の自白は真実に反するというべきであり、また、被告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、右自白は被告の錯誤に出たものと認められる。

そうすると、右自白の撤回は許容されるところ、前示事実関係からすれば、本件貸金の成立をいう原告の第一次的主張は失当であるが、これが本件売買代金の内金である旨の原告の第二次的主張は理由がある。

三進んで、本件売買の解除の効力について判断する。

1  請求原因3(二)の事実は当事者間に争いがない。

2  被告は、原告が本件売買に基づく債務の本旨に従った履行の提供をしていないとして、原告のした本件売買の解除の意思表示の無効又は権利濫用を主張するので、この点について検討する。

前記認定事実に照らすと、昭和五八年一二月二三日に原告と被告との間で締結された本件売買は、原告の本件開発行為の一環としてされたものであるところ、本件物件の代金額は、本件開発行為の主目的である都道に面した部分の買収の成否が未定なこともあって二億二六六二万円(3.3平方メートル当たり六〇〇万円)と定められたものの、右開発行為に対する今後の被告の協力を予定し、また、開発行為が達成された場合における本件物件の価額の増加も考慮して、開発達成の際には、開発の状況及び達成時期等を考慮の上、代金額を協議して改定することができる旨の代金改定条項が当初から約定されていたことが明らかである。原告は、被告の協力も期待して、当初から、本件物件を含めて第三ブロックの藤井ら各所有地の開発が達成されれば代金額は3.3平方メートル当たり二〇〇万円の増額(合計三億円余)をすることも考慮しており、その後、現に、被告に対して本件売買の代金額を三億円上乗せした五億二六六二万円に改定するとの提案もしている。そして、代金のうち合計一億八七〇〇万円の支払を了し、残代金三九六二万円の支払と本件物件の引渡及び所有権移転登記手続の履行期は昭和五九年七月一五日と定められたものの、本件開発行為の進展に伴い、右履行期を事実上延長し、昭和五九年中には都道に面した部分の買収を完了し、平成二年八月までに開発予定地域の約七割に相当する部分の買収を終えたが、この間に、地価が上昇し、代替地の取得が困難になって本件開発行為は停滞し、他方、被告が、前示のとおり本件売買の代金額を表並みの価格にする約束が存在したとして、右金額に増額改定するよう求め、右約束の存在を否定する原告との間で対立し、代金の改定がされないまま現在に至っている。

ところで、原告が、本件売買の解除の前提として、残代金(ただし、貸金名目で交付された前示金員に対する未払利息分を控除したもの)の提供をしたのは、本件売買の成立時から約九年後のことであって、この間に、被告が、原告のために、開発完了部分について買収交渉に尽力し、本件物件につき原告の他の買収地と共同担保として極度額合計四五億円の根抵当権を設定して開発資金の調達に協力するなどの貢献をしたことは、前記認定のとおりである。さらに、証拠(〈書証番号略〉)によれば、右の間に地価が高騰し、六大都市における商業地の市街地価格指数は、平成四年三月には昭和五八年九月の約四倍に上昇しており、本件土地の付近である東京都港区芝二丁目の商業地域における公示価格をみると、平成三年には昭和五八年の約九倍に上昇していること、原告の本件開発予定地域のうち、被告をふくむ昭和五九年二月ころまでの買収地(第一ブロックの滝沢、宮崎、手嶋、第二ブロックの星田)の買収価格は、本件売買と同様、3.3平方メートル当たり六〇〇万円前後であるが、地価の上昇がみられた後は、これを反映して、昭和五九年一二月の買収地(第三ブロックの旧仲宇佐)の買収価格は3.3平方メートル当たり三〇〇〇万円、平成元年から平成二年八月までの買収地(第一ブロックの折橋、第二ブロックの森、高間)の買収価格は、3.3平方メートル当たり四四〇〇万円前後であることが認められる。

以上のような諸事情にかんがみると、本件売買の当初の代金額二億二六六二万円(3.3平方メートル当たり六〇〇万円)が本件売買の約定を離れて当然に修正されたものということはできないとしても、信義衡平の観念上、本件売買の当初の約定のまま当事者を拘束することは著しく不当であって、代金改定条項に従い、当事者間において代金額等を合理的に修正することが要求されていたものといわなければならない。もっとも、原告が、前示のとおり履行の提供をするまでには、本件売買を合意解除して原告が支払済みの金員を被告の報酬に充当するとの提案をし、本件開発行為の帰すうがかかっている藤井らの所有地の買収交渉を自ら直接行い、また、被告を相手に本件売買の履行を求める民事調停を申し立てるなどの努力を払ってはいるが、こうした点を考慮してもなお、本件事実関係の下においては、原告が本件売買の当初の代金額を前提にして行った履行の提供をもってしては、信義誠実の原則に照らし、債務の本旨に従った履行の提供をしたものということはできないから、本件売買の解除の効力は生じないというべきである。

四以上の次第で、本件売買の解除を前提とする原告の第一次請求及び第二次請求並びに本件売買の無効を前提とする第三次請求は、いずれも理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官篠原勝美)

別紙物件目録〈省略〉

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